久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土どへはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。
   これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。(歎異鈔第九章)
   私たちの生活しているこの人間界、娑婆世界は、どれほど汚れていても、苦悩に満ちていても捨て難い世界であります。これに対して、いまだ生まれたことのない阿弥陀仏の浄土は、どれほど美しく清らかで安らかな世界だと聞かされていても、恋しく思えません。それは、本当に私たちの煩悩が盛んに起こっているからなのです。
   しかし、どんなにこの娑婆世界が名残り惜しく思えても、この世の縁が尽きて、なすすべもなくいのちの終焉を迎えるときに、私たちは阿弥陀仏の浄土へまいらさせていただくのです。阿弥陀如来様は、喜び勇んで浄土へまいりたいという心のないものを、ことに哀れんでくださるのです。
   このようなわけですから、いよいよ阿弥陀様の大いなる悲願は頼もしく感じられ、弥陀の浄土への往生は間違いないということなのです。
            南無阿弥陀仏

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